日本人が失った「想像力」

最近のSNSでよく見られる,学校の組体操,ファイヤーダンスについての話題。

最近では,大学入試共通テスト、英語民間試験問題。

そして,ここ数日で明らかになった神戸市立東須磨小学校(同市須磨区)の教員間暴行・暴言問題。

学校に関わる重大事件が連日続いています。

そして,身近な学校では連日続く,子どもの問題行動から端を発する学校への執拗なクレーム。

一見,皆バラバラな問題のように思いましたが,私の中で全部つながってきました。

日本人の「想像力の欠如」です。

「こう言ったら,その先どうなる?」
「自分がこうしたら,その後は??」
というところを想像する力です。

これがつながったのが,次のニュースです。

「もう、やってられない」 中教審で現場教師の本音訴え https://www.kyobun.co.jp/news/20191004_04/

西橋校長が強く訴えたのは、学校の教育現場に対する想像力だ。

「もっと想像力を持って施策をやらないと、現場はついてこない。現場がついて行きたいと思っても、ついていけない。次から次に要求があり、そこに働き方改革と言われる。これでは『もう、やってられない』と、現場の教師は思ってしまう」

学校の教育現場に対する想像力が足りなかった例として、西橋校長は大学入学共通テストが採用した英語民間試験を挙げた。

「英語民間試験の問題がいつまでもごちゃごちゃしているのは、制度を設計したときに想像力が不足していたからではないか。例えば、離島の生徒は受験するのに2泊3日が必要になる。悪天候だったら、さらに時間と費用が必要になる。そういう想像力が必要だ」(引用終わり)

この記事中の校長先生が指摘しているような,その先のことを考える「想像力」です。

「もっと想像力を持って施策をやらないと、現場はついてこない。」という言葉からは,中央官庁のビルの中で考えられたことが,この南北に細長い日本にどれだけまんべんなく均等に行き届くのか,という不安な気持ちになりました。

「例えば、離島の生徒は受験するのに2泊3日が必要になる。悪天候だったら、さらに時間と費用が必要になる。そういう想像力が必要だ」
という下りは,全くその通りです。

翻って多くの問題が吹き出してきている昨今。

これ以上組体操を続けたらどれだけのけが人が出るのか。
重度の障害を持ってしまうようなケガをしたらどうするのか。
あんな高いピラミッドのてっぺんから落ちたらどうなるのか。
それを想像できなかった学校。
実施を許した神戸市教育委員会。
市長がSNSで再三警告していたにもかかわらずです。

火の玉をぐるぐる振り回して,勢いが落ちたら,その子はどうなるのか。
それを想像できなかった学校。

日本は,電車ですぐに会場に行ける大都市ばかりではありません。
船に乗って行かないと受けられない高校生。
お金がかかり,受けたいところが受けられない高校生。
それを想像できなかった文科省。

自分たちのやっていることは一体許されることなのか。
教師としてそれは当たり前のことなのか。
世の中にしれたら一体どうなるのか。
そして何よりも,その暴力にさらされた先生の心情はどうなのか。
それを想像できなかった4人の教師。

自分のやっていることは,暴力の助長ではないのか。
見て見ぬふりでそれでよいのか。
それを想像できなかった元校長。現職校長。

そして,何よりもそういった当事者の顔をSNSで晒せという書き込み。
晒された人のその後は一体どうなるのか。
自分の顔は隠れているから安心とでも言うのか。
それを想像できないネット民。

オリンピックが近づいていますが,そのときのキーワードである
「おもてなし」

日本人のおもてなしって,来る人や使う人の気持ちを思いやり,それを想像することではないのでしょうか。

「日本人のおもてなし」精神なんて言うととても恥ずかしい気持ちになります。

学校での保護者の苦情も同じです。
言われる先生,言われる相手の子ども。
怒りが収まらない親の気持ちも分からぬでがありませんが,その感情をぶつけられた方は一体どうなるのでしょうか。

日本人が失いつつある「想像力」。
これからどうすればいいのでしょうか…。


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