「プログラミング教育を機に学校IT化を」で気になったこと

記事は日経新聞 2019/1/13付の社説です。

記事の内容はタイトルの通りでしたが,ちょっと気になったところがありました。以下,部分を引用します。

引用始め***

小学校で始まるプログラミング教育は、論理的な思考能力を養うのが狙いだ。幼いころからITやAIなどに触れ、科学や技術、数学などの基礎学力を身につけさせる教育は、多くの先進国や新興国が力を入れている。

だが、日本の学校にはIT教材の導入を阻む壁がある。タブレットやパソコンをインターネットに接続できないことだ。文部科学省の18年3月の調査によれば、日本の公立小中高校の普通教室で無線LANが使えるのは35%、パソコンなどと連動した電子黒板の整備率も27%にとどまっている。

情報機器をクラウドサービスに接続することを条例で禁じている自治体もある。まず自治体が意識を変え、学校の通信環境の整備を急ぐべきだ。文科省も機器の導入などを支援してもよい。

引用終わり***

ここの記事を読んで,総合教育技術2013年6月号に載っていた記事を思い出しました。

連載「デジタルスクールによる新しい教育」という記事で,戸塚滝登さんの記事中にあります。
主な内容はなぜ教育工学が教室に根づいていないのか?という内容です。

1 「再生不可能性」
ディバイスが消えれば教材も消えてしまうという一蓮托生の性質がある。
もしハードウェアがモデルチェンジしたり,OSやソフトがアップデートして吸盤が使えなくなったりすれば教材は再生できなくなり,指導案も消えてしまう。

2 「巨大プロジェクト依存」
半世紀にわたって中央官庁主導の巨大プロジェクト中心に歩んできた偏りのせいであるとする。各地の教師たちが創意工夫した草の根パワーによる実践を評価しなかったり学校ぐるみでやろうという流れに反するなどと排除したりして,教育工学を根付かせようとする多くの現場教師の努力を潰してしまった。

3 ホワイト・エレファント性
当初は物珍しいためサーカスなどの見世物に使えるものの,それ以外には何の役にも立たず,やがて自費がかさんで困る厄介者のことを英語でホワイト・エレファントと言う。教育工学はこうしたホワイトエレファント教材を作る続けてきたとある。


聖心女子大学(当時)の永野和男先生のコメントが紹介されています。
「教育工学は高価な機械を現場に導入して,普及させていく学問だと思われ続けています。文部科学省や総務省,かつての通産省などの”上から”の政策に密着して,使いにくい機械を教育現場に無理矢理導入しているというイメージです。そんな古い偏見を抱いている教師たちがいまだに多いのはなぜだと思いますか?」

非常に手厳しい意見ですね。
しかし,永野先生のような教育工学の研究者から発せられた警告だからこそ,謙虚に耳を傾けていく必要があるように思います。

では,総合教育技術や日経新聞記事から私たちが考えなければならないことは何でしょうか。

情報教育やコンピュータを利用した教育は,どうしても先進的な学校や機器が入っている学校を視察して「ウチの学校ではとても無理…」というようになってしまいがちです。
つまり,先を走るところの後追いをしてもダメだということです。

今,目の前にある自分の学校の教育課題と学校にある機器や資産,ハードやソフトを照らし合わせて,「今できることを使えるものでやる」ということでしょう。

環境が整っていないということを嘆いても何も始まりませんね。
ないのは個々の先生方の責任ではありませんから。

そして,文中の黒田卓先生(富山大)のコメントも大事です。
「(反転授業に関しての記述の後,)まずは小さな規模から始め,実証を積み重ねながらしだいに拡大させていきましょう。古い教育工学のように大がかりに”日本全体でやりましょう”とばかり始めてしまったなら,またぞろ同じ失敗を繰り返しかねませんからね」

結局は,草の根的に取り組んでいる先生方が,目の前にある課題に地道に取り組んでいく姿勢が一番大事なのだろうと思います。


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