やっぱり腑におちない「プログラミング教育」

最近,ことにtwitterやネットのニュース,いろいろな情報に触れるにつけ,やっぱり「プログラミング教育」「プログラミング的思考」が腑に落ちず,もやもやとしています。

プログラミング教育自体は,私にとっては研究の範囲からはかなり離れていると思っているので,これまでは意図的にスルーしてきました。
しかし,これだけ巷にあふれてくると,考えないではいられません。
というか,いられなくなってきています(苦笑)。

もやもやを晴らす必要もあり,ここ数日考えていることを書いてみたいと思います。

まず,決定的なのは「プログラミング教育」ってどんな教育なのか全く分からないということです。


教育現場には,「食育」「税金教育」「禁煙教育」など「○○教育」とうたわれているものが結構あります。それらは,だいたい言葉のイメージと,「教育をする」ということを合わせれば,想像がつきます。
「税金教育」だったら,まず税金とは何か,何のためにあるのか,なぜ必要か,そして子どもはそれに対して何をすればよいのか,よい納税者になるには,等々,これに関する授業はやったことはありませんが,これだけで何時間か授業ができそうな気がします。

しかし,「プログラミング教育」は,全く思い浮かびません。
せいぜいパソコンで何かのプログラムを作らせるのか…,ぐらいです。
で,プログラムをすることで,論理的な仕組みがわかるようになり,その周辺の数学が分かるようになる…。

イギリスやハンガリーなどの「Computing」だったら全く問題なく腑に落ちます。


コンピュータに関連する,コンピュータ周辺のことを,小学生なら小学生ができることを,中学生なら中学生ができることを勉強するというものです。
もちろんキーボード入力も,プログラミングも,社会とのつながりも勉強できるでしょう。

でも,違いますね。
Computnigじゃなくて「プログラミング教育」ですから…。


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