教員の指導力について,他の方のFacebook上で,何人かの方からのコメントがありました。
そこであれこれ思ったことです。
まず、現行の教員の指導力を下げているのは、大学の教職課程とその仕組みをつくった国です。
ICTはすべての教科の基盤であるとするならば、教職科目で「ICT教育の指導法」みたいな授業を最低でも1コマ必修化すべきです。
現行では各教科の指導法でICTも取り入れるようになっていますが、その程度でできることではないし、指導法なら指導法の時間で教えなければならないことがあります。
1科目15時間×90分で身につくことではありません。
日本の教員は私立大出身の方が多いはずです。
私立大学の教職課程は国立大と違い、最低限の人数しか雇っていませんから教育工学のプロパーがいるとは限りません。
まして教科教育の教員すべてがICTを指導できるということもありません。
これは完全に制度上の欠陥です。
教員の指導力については、現行では大学で教わっていないこともどんどん学校に入り込んで来る時代です。
つまり、就職してから教師自ら学ぶことが不可欠です。
しかし、皆さんご承知のとおり国はその時間を担保していませんね。
これも制度設計の欠陥です。
一概に教員個人の責任に帰着させることはできません。
肝心なのはそんな状況でも「自ら学ぶ自己教育力を持った教師を大学で送り出しているか?」ということです。
教員が自己教育を繰り返していくこともまた必要不可欠です。
私の信条は、「大学でしっかり勉強した経験がない先生は、先生になってもできない」です。
これは主に学生に言うことで、現場に行って必要感を持ち勉強している先生も大勢いることも間違いありません。
反対に「時間がない」「保護者対応が……」と言ってやらない人がいることもまた事実かもしれません。
厳しいですが、そういう先生は結局何もしません。
教材研究をして授業の準備をするのは勤務時間でしょうが、自己研鑽はあくまでも自分のこと。
必要と思えば土曜でも日曜でもやらなくてはいけないでしょう。
時間がなくてもやる人はやります。
教員の授業は、制度設計の欠陥によって個人の先生に責任に帰すことができない部分と、本人の勉強不足から来るものと両面あります。
本来はその点を明確に切り分けて考える必要があります。
ICTの様々な課題はその両面を持っており、より複雑化しやすいと言えると思います。
(私のFacebookから加筆・修正しました。)
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