教員採用、倍率低下だけが問題ではない ― 本当に心配な3つの問題(妹尾昌俊) – Y!ニュース https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20191224-00156109/
がSNSでかなり話題に上がっていました。
この問題の中に「大学での教員養成はうまくいっているのか」という問題が提起されています。
私の前回のブログ
http://manabugoto.info/?p=1611 教師の指導力
にも関連することです。
確かに教員を目指す学生の中に「これで先生になるの?」という学生がいることは確かです。
前ブログでもそれを個人のせいに帰していいのかということを書きました。
確かに大学生。自覚を持って4年間一生懸命勉強すれば,教師の学力を持って卒業できるかもしれません。
中学生レベルの問題どころか全国学力テスト(小学6年生)の問題でも,私の授業で「説明してみなさい」というとしどろもどろでになって明確な答えが返ってこないことも多々あります。
この問題の根幹は何なのかを考えてみたいと思います。
1つは小学校の先生の学力や一般教養も含めたレベルで言うと,「センター試験」を経験していない学生は厳しいと思います。
少なくともそれに向けた勉強をしてきていること。
全国の教員採用試験の一般教養問題はほぼこのレベル(か少し易しい)ぐらいです。
「三権分立とは?」「酸とアルカリの違いは?」など小学校の先生でも必要な知識です。
数学で言えば,センター試験の問題が解けるならば中学の問題はたやすいと思います。
それで問題なのがいわゆる「推薦系」入試で入学する学生の割合です。
だいたいは面接と小論文あるいはそれに近い内容の試験です。
大学では多様な入試制度の推奨を名目に,また少子化の中で多くの大学がこの入試スタイルをとるところが多くあります。
それは高校の内申書も加味されていますが,学校間でバラバラな指標であり実際の学力を保証するものではありません。
センター試験は,英語のTOEIC試験のように,唯一学力を日本全国で公平に測ることができる指標です。
そうすると,中学,高校,大学,いずれの入試も推薦できたという学生の学力は測りようがありません。
また,私が大事だと思うのは,センター入試の試験勉強を1年近く続けてきている「気力」もあると思っています。
推薦でずっと上がってきても,学力が伴っていれば何の問題もありませんが,その気力というものも,教師になるためには必要な能力だと思います。
話が少しそれてしまいました。
私のブログで以前も書きましたが,小学校で算数の授業をするのに,大学では1年時に基礎的な数学の内容を教わる時間が90分×15回,2年時あたりに「指導法」とか「教育法」という名前の授業が90分×15回,3年時あたり各大学独自の算数や数学に関連する授業(特論とか演習とか)が90分×15回,たった3科目だけです。
しかも必修は2年時の教育法(指導法)たった1科目だけです。
恐ろしいことに,最低限1科目を履修しただけで算数の授業をやる学生(先生)が数多く存在しているのです。
多くの大学では,実際には選択の幅を持たせつつ「選択必修」のように枠を設けてできる限りいろいろ勉強するように工夫はしています。ですが,それでも限界があります。
これが算数や国語だったらそれほど実害はありませんが,理科や家庭科など技能教科も一緒です。
1科目しか勉強していない先生が,酸やアルカリ性の薬品を扱ったり,アルコールランプを使って教えたりするわけです。
しかも現代の若者は効率化をより選択し,必要最低限のことしかやろうとしない傾向があります。
そんな状況で,十分に「自主的に」勉強しなさい,先生になってから必要だからと言っても,土台無理な話です。
ですから,教師は大学でもっともっと勉強してくる必要があります。
いじめ問題や道徳などに対する勉強ももちろん大事です。
ですから,教師はもっともっと勉強する意欲がある学び続ける意志が強い人でないと,そもそもなれないものだと思うべきです。
規制緩和の下に,中学の問題が解けないような人も免許が取れるようにしてしまったのは,国の政策でしょう。
最後の砦である,教員採用試験も1次試験で学力は見るものの,人物重視の観点で模擬授業や集団面接,個人面接などで決定されます。
教員不足の中,いろいろな推薦枠を設けて1次試験を免除する自治体も多くなりました。
この構造は,AOや推薦系の大学入試と同じです。
基礎学力の保証はとても厳しいと言わざるを得ません。
それを個人の努力不足や大学の教員養成のせいにしてしまうのは酷な話だと思います。