「プログラミング教育」を考えていくために,文科省関連の議事録を読むことは,研究者として一丁目一番地。
というわけで,プログラミング的思考に行く前に,「小学校段階におけるプログラミング教育の在り方について(議論の取りまとめ)」を読んでみた。
算数に関する記述の冒頭部分。
・「計算する」という過程は、算数・数学の学習においても、日常生活においても、繰り返 し行うことが必要となる場面である。繰り返し行うことが必要となる場面というものは、 プログラミングで実行する必要性につながりやすいため、“計算することをプログラミ ングで教えればいいのではないか”と考えられる可能性ある。
この会議には新井紀子氏や帝京大学教授,日本数学教育学会会長,数学教育界のドン,清水静海氏も参加している。
しかし,この文面,とても雑である。
「 繰り返し行うことが必要となる場面というものは、 プログラミングで実行する必要性につながりやすい」のは理解できる。
しかし,「 計算することをプログラミ ングで教えればいいのではないか”と考えられる可能性ある。 」のには引っかかりを感じる。
つまり,「計算する」ことが,プログラミングの「何と」つながるのかが述べられていない。
これが理解できるのは,プログラムを経験したことがある人だけである。
しかし,大多数の小学校教員は,プログラミングなど経験していない。
別様に言えば,「自転車に乗ったこともない人に,自転車の乗ったときに見える風景を言ってみなさい」と言っているようなものである。
「小学校で筆算を学習する ということは、計算の手続を一つ一つのステップに分解し、記憶し反復し、それぞれの 過程を確実にこなしていくということであり、これは、プログラミングの一つ一つの要 素に対応する。つまり、筆算の学習は、プログラミング的思考の素地を体験している」までは納得できるが,「プログラミングを用いずに計算を行うことが、プログラミング的思考につな がっていく。」とは必ずしも限らない。
計算は仕組みを考えながら実行している段階と,そういった段階を飛び越えて,どんどん自動化(意識せずに計算が省略されていく)される。
計算の熟練者ほど,思考は省略され自動化されていく。
「例えば、図の作成等において、プログラミングを体験しながら考え、プログラミング的思考と数学的な思考の関係やそれらのよさに気付く学びを取り入れていくこと」とあるが,プログラミング的思考と数学的な思考がどう関係があるのかは,述べられていないし,数学的思考が子どもが学習の結果表出したものと同等であるかどうかも分かっていない。
そもそも,「数学的思考って何?」という問題も残っている。
このような点において,どうも大雑把な話だ…,という印象を拭いきれないのは,私だけだろうか…。