先日終えた日教組の教研集会の新聞記事に,家庭の収入格差,経済格差の話題があり,指導が困難である状況が掲載されていた。 確かに悲惨な具体例を読むと,手の施しようがなく,自分が当事者であたらたぶんどうにもならないのではないか,とつい弱気になってしまう。
しかし陰山先生の何かの文で読んだが,家庭に収入格差を理由に指導できない,などというのは言い訳であるというのがあった。この考えには私も同感である。
確かに困難なことは山ほどあろうし,教師の気力だってどこまで続くか分からない。しかしそれを認めてしまえば,教育などというものは根本から成り立たなくなってしまう。 本来は家庭が逃げ場であるはずだが,こうなるともはや学校が子どもの逃げ場になってしまう。しかしなんとかしてこの収入格差の壁を乗り越えていかなければならないと強く思う。
文部科学省の2008年の調査によれば,収入の低い世帯の親は「ほとんど毎日、子どもに『勉強しなさい』という」「テレビのワイドショーやバラエティ番組を見る」「携帯電話でゲームをする」「カラオケに行く」という行動が多いのに対し,高収入の親は「本(雑誌や漫画を除く)を読む」「テレビのニュース番組を見る」「学校での行事に参加」などの行動が多いという結果が出ている。また子どもへの接し方も「家には、本(マンガや雑誌を除く)がたくさんある」「子どもが小さいころ、絵本の読み聞かせをした」という行動が多い,という結果が出ている。 つまり収入の格差というのは,単なるお金の問題よりも,親の行動様式の格差であるということが言えるのではないだろうか。親が日々の生活の仕方を変えれば子どもが伸びる可能性がある。つまり大人の問題なのだ,というように私は考える。